高知県安芸市「野良時計」|10歳の少年の好奇心から生まれた、明治の手作り時計

高知県安芸市の田園風景の中に、少し不思議な建物が立っている。

昔ながらの日本家屋。

その屋根から、まるで小さな時計塔のような建物が空へ伸びている。

名前は「野良時計(のらどけい)」。

安芸市を代表する観光スポットのひとつだ。

しかし、この時計の本当の面白さは、その珍しい姿だけではない。

始まりは、ひとりの少年が一個の時計を分解したことだった。

目次

10歳の少年が時計をバラした

時代は明治。

この地の地主だった畠中源馬(はたけなか げんま)は、10歳の頃、父親からアメリカ製の八角形の掛け時計を買ってもらった。

現在なら時計の仕組みを知りたければ、インターネットで検索すれば動画も図解も見つかる。

しかし、もちろん明治時代にそんなものはない。

少年はどうしたのか。

時計を分解した。

そして、また組み立てた。

さらに分解して、また組み立てる。

それを繰り返しながら、時計がどんな仕組みで動いているのかを自分で理解していったという。

そして明治20年(1887年)頃。

畠中源馬は、ついに大きな時計を自分の手で作り上げた。

驚くのは、時計をどこかから買ってきて塔にはめ込んだわけではないことだ。

歯車から分銅まで、部品を手作りしたと伝えられている。

時計職人として専門教育を受けた人物が作ったわけでもない。

ひとりの少年時代の好奇心が、やがて巨大な時計へと姿を変えたのだ。

Screenshot

なぜ「野良時計」と呼ばれるのか

現在では、時間を確認するために腕時計すら必要なくなった。

スマートフォンを取り出せば、正確な時間がすぐに分かる。

しかし、野良時計が作られた明治時代は違う。

一般家庭に時計が当たり前にある時代ではなかった。

そんな時代に、田園地帯に大きな時計が現れた。

田んぼや畑で野良仕事をしていた人々は、遠くからこの時計を見上げ、時刻を知ることができた。

単なる装飾ではない。

この土地で暮らす人々に「時間」を知らせる存在だった。

だから、いつしか親しみを込めて「野良時計」と呼ばれるようになった。

この名前もいい。

難しい歴史的名称ではなく、「野良仕事をしながら見る時計」。

人々の暮らしの中から自然に生まれてきたような響きがある。

田園風景の中で見ると、野良時計の意味が分かってくる

実際に現地へ行ってみると、野良時計だけをアップで見るのとは少し印象が違う。

周囲には田畑が広がり、水路には水が流れ、昔ながらの町並みが残っている。

少し離れた場所から野良時計を見る。

すると、明治時代にここで農作業をしていた人たちも、こんなふうに時計を見上げていたのだろうかと思えてくる。

現在の風景の向こう側に、昔の風景が重なる。

そんな想像ができるのも、この場所の魅力だ。

季節によっては周辺に花が咲き、特に夏のひまわりと野良時計を組み合わせた風景も印象的。

時計台そのものだけでなく、田園風景まで含めて「野良時計」という場所なのだと思う。

120年以上、時を刻んできた時計

安芸市によると、野良時計は完成後、約120年にわたって時を刻み続けてきたという。

現在は常に動いているわけではない。

観光シーズンやイベントなどの際に、所有者の協力によって動かされることがある。

そのため、現地を訪れた時に針が止まっていても、「壊れて放置されている時計」という意味ではない。

むしろ、明治時代に手作りされた貴重な時計を未来へ残していくため、その時間を静かに休ませている。

そう考えると、止まっている針にも別の意味が見えてくる。

時計の針は止まっていても、この場所に流れてきた時間まで止まったわけではない。

国の登録有形文化財として残る畠中家住宅

野良時計のある畠中家住宅に関連する建造物は、国の登録有形文化財となっている。

文化庁の国指定文化財等データベースにも「畠中家住宅(野良時計)主屋」「畠中家住宅(野良時計)蔵」などが登録されており、野良時計のある景観そのものが歴史的価値を持つことが分かる。

時計だけを切り離して見るのではなく、日本家屋、瓦屋根、蔵、そして周囲の田園。

それらが一体となって残っていることに価値があるのだろう。

近代化が始まった明治という時代。

昔ながらの日本の暮らしの中へ、西洋から入ってきた「時計」という新しい技術。

野良時計を眺めていると、その二つの時代がひとつの建物の中で重なっているようにも見える。

野良時計と一緒に歩きたい「土居廓中」

野良時計を訪れたなら、周辺を少し歩いてみるのもおすすめだ。

近くには「土居廓中(どいかちゅう)」と呼ばれる歴史的な町並みが残っている。

江戸時代、この地域には土佐藩家老の五藤家が居を構えていた。

現在も掘割や生垣などが残り、派手な観光地とはまた違う、静かな時間を感じられる。

野良時計だけを見て車へ戻るのもいい。

でも、少し歩いてみる。

水路を見る。

古い塀を見る。

田園の向こうから野良時計を振り返る。

そうすると、この時計が博物館の中に保存された展示物ではなく、今も地域の風景の中に存在していることが実感できる。

野良時計を見学するときの注意点

ここで忘れてはいけないことがある。

野良時計は観光施設として建てられたものではなく、現在も個人の住居である。

そのため内部は公開されておらず、見学できるのは外観のみ。

敷地内へ勝手に入ったり、住民の方の生活を妨げたりしないよう注意したい。

安芸市によると、東側には無料駐車場が用意されている。

歴史ある場所をこれからも残していくためにも、訪れる側が静かに見学することを心掛けたい。

野良時計 基本情報

名称:野良時計(のらどけい)

所在地:高知県安芸市土居

製作:明治20年(1887年)頃

製作者:畠中源馬(はたけなか げんま)

見学:外観のみ

駐車場:東側に無料駐車場あり

周辺スポット:土居廓中、安芸城跡、安芸市立歴史民俗資料館など

※野良時計は個人宅です。訪問時は現地の案内やマナーを守って見学してください。

一個の時計から始まった、安芸の物語

野良時計を最初に見たときは、

「昔の珍しい時計台」

という印象を持つかもしれない。

でも、その背景を知ってからもう一度見ると、少し違って見える。

10歳の少年が、父親からもらったアメリカ製の時計を手にする。

知りたい。

どうして動くんだろう。

その好奇心から時計を分解する。

何度も分解し、何度も組み立てる。

やがて少年は成長し、自分の手で大きな時計を作った。

その時計を、今度は田んぼで働く人たちが見上げるようになる。

ひとりの好奇心から生まれたものが、いつしか地域の暮らしを支え、さらに長い年月を経て安芸市のシンボルになった。

そう考えると、野良時計の価値は「古い時計が残っている」ということだけではないのかもしれない。

そこには、ひとりの人間の好奇心と、それを使った人々の暮らし、そして140年近く積み重なった時間がある。

僕たちは今、スマートフォンで一日に何度も時間を見る。

その数字を見ても、たぶん何も考えない。

でも明治時代。

安芸の田んぼで働いていた誰かが、汗を拭きながら遠くの時計台を見上げた。

「そろそろ昼か。」

そんな声が、この田園のどこかから聞こえてきそうな気がする。

時計の針は、今は静かに休んでいる。

それでも野良時計は今日もそこに立っている。

時間を知らせるための時計から、

時間を想像させる時計へ。

一人の少年の好奇心は、140年近い時を越えて、安芸の風景になった。

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