足摺岬のジョン万次郎像を訪ねて|漁村の少年がアメリカへ渡った波乱万丈の人生

高知県土佐清水市の足摺岬を訪ねました。断崖に立つ白い灯台と、目の前に広がる太平洋。海の景色を楽しみに訪れる場所ですが、今回は岬に立つジョン万次郎像にも足を止めました。

貧しい漁師の家に生まれた少年が、漁に出たことをきっかけに漂流し、やがてアメリカで学ぶことになる。その人生を知ってから見る水平線には、景色の美しさだけではない奥行きがあります。今回は、足摺岬の風景とともに、万次郎の波乱万丈の歩みを紹介します。

目次

足摺岬で出会うジョン万次郎像

足摺岬の入口付近には、「中浜万次郎」の名を刻んだ銅像があります。ジョン万次郎として知られる人物で、出身地は足摺岬に近い、現在の土佐清水市中浜です。土佐清水市

訪問時に撮影した像は、空を背景に堂々と立っていました。正面から見る姿と、横から見る姿では印象が違います。雲の間から光が差す一枚には、長い旅を重ねた人物を思わせる雰囲気がありました。

観光地にある銅像は、名前を確認して通り過ぎてしまうこともあります。しかし万次郎の場合、その人生を少し知るだけで、目の前の像への関心がぐっと深まります。なぜ、この人が足摺岬に立っているのか。その答えは、近くの漁村から始まる物語にあります。

貧しい漁師の家に生まれた少年

万次郎は1827年、土佐の中浜に生まれました。家は貧しく、幼い頃に父を亡くし、子どもの頃から働いていたと伝えられています。

当時の万次郎が暮らしていた世界と、後に彼が知ることになる世界。その隔たりを考えると、人生の展開に驚かされます。最初から海外留学を目指して旅立ったわけではありません。暮らしのために漁へ出た少年に、思いがけない出来事が起こったのです。

1841年、万次郎が14歳のとき、仲間と漁に出た船が嵐に遭い、漂流しました。たどり着いたのは、太平洋に浮かぶ無人島の鳥島。ここから、生き延びるための日々が始まります。ジョン万次郎資料館公式サイト

無人島で143日間を生き抜き、捕鯨船に救助される

万次郎たちは、鳥島で143日間を過ごした後、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されました。ジョン万次郎資料館公式サイト

今のように連絡手段や救助を呼ぶ設備があるわけではない時代です。知らない島で、いつ助けが来るかもわからずに過ごす。その長さは、数字だけでは想像しきれません。

船に発見されたことは、命を救う出来事でした。そして万次郎にとっては、その後の人生を変える出会いにもなりました。船長の名は、ホイットフィールド。万次郎の物語をたどるうえで欠かせない人物です。

ただ、助かったからすぐ故郷へ帰れたわけではありません。当時の日本は鎖国の時代で、外国船での帰国は簡単ではありませんでした。救助の先にも、まだ長い道のりが待っていたのです。www.city.tosashimizu.kochi.jp

ホイットフィールド船長とアメリカへ

ハワイで仲間と別れた万次郎は、ホイットフィールド船長とともにアメリカへ渡ることを決めました。

船長の支えを受け、マサチューセッツ州のフェアヘーブンで暮らしながら、英語や数学、測量、航海術などを学びます。土佐の漁村で働いていた少年が、異国の学校に通う。この変化だけでも、ひとつの物語になるほどです。www.city.tosashimizu.kochi.jp

知らない言葉や生活習慣の中で学ぶには、戸惑いもあったはずです。それでも新しい知識を身につけ、その後は捕鯨船に乗り、海で経験を重ねていきました。

万次郎の人生には、船長との幸運な出会いがあります。しかし、出会った後に学び続けた本人の力も忘れたくありません。与えられた機会を、その先の人生につなげていったところに、この人物の魅力を感じます。

帰国後は日本と海外をつなぐ存在に

万次郎は帰国資金を得るため、ゴールドラッシュで知られるカリフォルニアにも向かいました。その後、ハワイの仲間と帰国の準備を整え、1851年に琉球へ上陸します。ジョン万次郎資料館公式サイト

そこから取り調べなどを経て、土佐へ帰るまでにも時間がかかりました。漂流から帰郷までの道のりを考えると、単に「アメリカへ行って帰ってきた」という言葉では収まりません。

帰国後は、海外で身につけた英語や航海の知識が必要とされ、翻訳、通訳、技術指導などに携わりました。1860年には、勝海舟や福沢諭吉らとともに咸臨丸に乗り、再び太平洋を渡っています。ジョン万次郎資料館公式サイト

遭難した漁師の少年が、やがて国の海外交流を支える立場になる。万次郎の人生に引き込まれるのは、時代の変化と個人の歩みが、これほど大きく重なっているからかもしれません。

足摺岬灯台と太平洋の景色を楽しむ

万次郎像を見た後は、足摺岬の海の景色へ。目に入るのは、断崖に立つ白い足摺岬灯台です。灯台は1914年に点灯し、長く沖を行き交う船の安全を見守ってきました。土佐清水市

今回の写真には、岩肌の見える崖と、その上の緑、白い灯台、青い海が収まっています。海岸の岩に波が当たり、その先には水平線が続いていました。

灯台を大きく写すと、断崖に立つ姿が際立ちます。一方、少し引いて撮ると、海と空の広さが伝わります。同じ場所でも、どこまで景色を入れるかで印象が変わるのが面白いところです。

足摺岬を訪ねたら、写真を撮る時間に加えて、何もせず海を見る時間も取りたいですね。万次郎の物語を知った後なら、目の前の太平洋が、遠い国とつながる海であることを意識させてくれます。

足摺岬観光の基本情報と訪問前の確認

足摺岬は高知県土佐清水市にあります。車で訪ねる場合、市の案内では土佐清水市役所から約15キロ、約20分が目安です。バスでは、高知西南交通の「足摺岬」停留所が案内されています。

観光案内所の住所は、高知県土佐清水市足摺岬1349。移動時間は道路状況によって変わるため、余裕を持って予定を組むと、銅像や海の景色もゆっくり楽しめます。土佐清水市

展望台や遊歩道は、工事などで利用できる範囲が変わる場合があります。訪問前には土佐清水市の観光情報で最新の案内を確認してください。

万次郎の人生をさらに詳しく知りたい方は、ジョン万次郎資料館も旅の候補になります。銅像と岬の景色を入口にして、生涯や時代背景へ関心を広げていくと、土佐清水の旅がより深くなりそうです。

物語を知ると、水平線の向こうが気になってくる

足摺岬は、白い灯台と太平洋を楽しめる場所です。そして、ジョン万次郎という人物の人生に触れられる場所でもあります。

万次郎が漁に出たとき、自分がアメリカへ渡り、日本と海外をつなぐ役割を担うとは、想像していなかったでしょう。災難から始まった旅の中に、人との出会いと学びがあり、その先に新しい人生が開けていきました。

銅像を眺めてから、もう一度海を見る。すると、水平線の向こうに何があるのか、少し気になってきます。景色と物語を一緒に味わえる、足摺岬らしい旅の楽しみです。

小さな幸せ探します。
また、まっちゅうきね。

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