高知県の山深くにある大川村。
「四国の水がめ」と呼ばれる早明浦ダムを訪れた日、いつもなら水に覆われているはずの湖底に、不思議な光景が広がっていました。
水が消えた湖の底から、役場が現れていたのです。
巨大な湖底に、ぽつんと残されたコンクリートの建物。
最初に見た時は、まるで廃墟のようにも見えました。
しかし、その建物の正体は「旧大川村役場」。
早明浦ダムの水位が下がった時だけ姿を現す、大川村の歴史を物語る建物です。大川村自身も、渇水するとダム湖から旧村役場が顔を出すことを村の特徴の一つとして紹介しています。
今回は、実際に現地で見た旧大川村役場の姿と、その背景にある大川村の歴史を紹介します。
早明浦ダムの湖底に現れた旧大川村役場
早明浦ダムへ向かい、湖を見下ろしてみると驚きました。
いつもなら水があるはずの場所が大きく露出しています。
湖岸には水位が下がった跡が何本もの線になって残り、湖底にはひび割れた泥。その荒涼とした景色の中に、一棟のコンクリート建築が残っていました。
旧大川村役場です。
周囲に現在の住宅や道路があるわけでもなく、広大な湖底に建物だけが取り残されている。
写真で知ってはいても、実際に目の前にするとかなり不思議な光景でした。
そして、当然こんな疑問が浮かびます。
なぜ、役場が湖の底にあるのだろう?
ここから大川村の歴史を知っていくと、この建物の見え方が少し変わってきます。

ここには、かつて人々の暮らしがあった
現在の早明浦ダム湖の下には、かつて大川村の人々が生活していた土地がありました。
早明浦ダムの建設に伴い、村の中心部を含む地域が水没。人々はそれまで暮らしていた土地を離れることになります。
つまり、目の前に広がっている場所は単なる「干上がった湖底」ではありません。
そこにはかつて人の生活がありました。
道を歩く人がいて、家があって、仕事があって、毎日の暮らしがあった。
現在、大川村は人口350人ほどで、離島を除くと全国で2番目に人口が少ない自治体とされています。しかし、かつては人口が4,000人を超えた時代もありました。大川村は、人口減少の背景として銅の採掘量減少と早明浦ダムによる水没に伴う人口流出を挙げています。
そう考えてから湖底を見ると、最初に感じた「変わった廃墟だな」という印象とは、ずいぶん違って見えてきます。
大川村を支えた白滝鉱山
大川村の歴史を語るうえでもう一つ欠かせないのが、**白滝鉱山(しらたきこうざん)**です。
現在の静かな山村からは想像しにくいのですが、大川村にはかつて四国でも有数の銅鉱山がありました。鉱山が栄えた時代には村の人口も4,000人を超えていました。
現在も白滝鉱山跡は大川村にとって重要な歴史資源です。村では鉱山跡の活用事業も進めており、白滝地区には「自然王国 白滝の里」が整備されています。
さらに「白滝ふるさと祭り」は、かつて白滝鉱山で働いた人たちが白滝を懐かしむ声から始まった祭りで、鉱山関係者による慰霊祭も行われています。
鉱山によって栄えた村。
そして早明浦ダム建設による水没。
大川村は、短い期間に大きな変化を経験してきた村なのです。

水が減った時だけ見える「村の痕跡」
旧大川村役場を撮影していると、建物以外にも気になるものが見えました。
湖底には何かの構造物らしきものも残っています。
それが当時の集落に由来するものなのか、ダム建設後の設備なのかは確認できなかったため断定はできません。
しかし、旧役場だけを見ている時とは違って、
「この広い湖底のどこかにも、いろいろなものが残っているのだろうか」
と想像してしまいます。
普段は水面しか見えない場所です。
そこから水がなくなることで、いつもは見えない地形や構造物が現れる。
旧大川村役場は、その中でも特に分かりやすく残った存在なのでしょう。

「廃墟」という言葉だけでは少し違う気がした
旧大川村役場を見に行く前は、僕自身も「ダムの底から廃墟が現れる」という面白さに惹かれていました。
確かに見た目のインパクトは強烈です。
巨大な湖底。
ひび割れた泥。
そして一棟だけ残されたコンクリートの建物。
ところが、大川村の歴史を知ると少し印象が変わります。
これは単に使われなくなった建物が放置されているわけではありません。
建物の周囲には、かつて村の暮らしがありました。
だから僕には、
湖底に残された、ひとつの村のタイムカプセル
のようにも見えました。
水がある時には見えない。
水位が下がった時だけ、再び姿を現す。
その姿を見ながら、ここに人々が暮らしていた時代を想像する。
旧大川村役場の面白さは、建物そのものより、その向こう側にある歴史なのかもしれません。
大川村は「ダムに沈んだ村」だけではない
今回の取材で改めて感じたのは、大川村を「早明浦ダムによって水没した村」という一面だけで見てしまうのはもったいないということです。
現在の大川村には、大川黒牛やはちきん地鶏といった特産品があり、若いU・Iターン者による地域おこしも行われています。白滝鉱山跡周辺の「自然王国 白滝の里」も地域活性化の拠点となっています。
早明浦ダムそのものも、2025年には管理開始から50周年を迎えました。
湖底の旧役場は「過去」。
その周囲で暮らしている人々は「現在」。
その両方が同じ風景の中にあるところが、大川村の興味深さなのだと思います。

帰りに立ち寄った「七尾の湧水」
大川村を走ったこの日は、七尾の湧水にも立ち寄りました。
山肌から伸びたパイプから水は流れていましたが、訪れた時の水量はかなり少なく感じました。
ただし、これが今回の少雨や渇水によるものなのか、もともとの季節変動なのかは確認できていません。
早明浦ダムの湖底を見た直後だったこともあり、山から流れ出す細い水を見ながら、普段何気なく使っている「水」というものを少し意識した一日になりました。

そして取材中、まさかの出来事が……
実は今回、旧大川村役場を撮影している最中に思わぬ出来事がありました。
現地で偶然、韓国のテレビ局の取材スタッフと遭遇したのです。
こちらは大川村を取材しに来た側。
ところが話しかけられ、まさかの展開。
取材に行ったら、逆に取材されました。
旧大川村役場を見てどう感じたかなど、いくつかインタビューに答えることになりました。
放送されるかどうかは現時点では未定とのこと。
仮に放送されても韓国なので、自分自身では確認できない可能性もあります。
まさに「幻のテレビ出演」になるかもしれません(笑)。
そしてインタビューのお礼としていただいたのが、韓国のハニーバターアーモンド。
歴史ある旧大川村役場を取材しに来て、帰りにはなぜか韓国のお菓子を持っている。
旅というのは、予定通りにいかないから面白い。
ちなみに僕は以前、愛媛県の農産物直売所を訪れた時にも、偶然現地のテレビ局からインタビューを受けたことがあります。
まさか1年もしないうちに、今度は海外のテレビ局。
こんなこともあるものです。

まとめ|旧大川村役場は、湖底に残された大川村の歴史
渇水によって姿を現した、早明浦ダム湖底の旧大川村役場。
最初は、
「なんで湖の底に役場があるんだ?」
という単純な好奇心から始まりました。
しかし調べてみると、その背後には早明浦ダム建設による集落の水没、白滝鉱山とともに栄えた時代、そして大きく姿を変えてきた大川村の歴史がありました。
水が戻れば、旧役場は再び湖底へ沈んでいきます。
次にいつ、どの程度姿を見せるのかは水位次第です。
だからこそ、今回目の前で見ることができた光景を、映像と写真に残しておきたいと思いました。
水が消えた湖の底から、役場が現れた。
そこにあったのは単なる古い建物ではなく、今も大川村の歴史を伝え続ける存在でした。
また、まっちゅうきね。


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